
戦争が無い現在では、文化としての弾圧を受けることなく、誰もが弓を引くことができます。
もちろん、この先戦争が起きれば文化を捨てさせられる可能性もあります。特に独占的な体制を持つ国家に敗北した場合、文化を失ってきた例は歴史上少なくありません。そうした意味で、日本でしか行われない和弓は、外圧に対して脆弱な側面を持っています。
とはいえ、戦争のない現状においては、弓道を存続させること自体は不可能ではありません。しかし現在の組織のあり方を見る限り、その持続は容易ではないと言わざるを得ません。
弓道の組織は、形式的には人が集まって成立していますが、実態としては一部の人間による支配的な運用に依存しています。そしてその上下関係は実力によるものではありません。段位を「与える」という構造がある以上、序列は固定され、覆されることはほとんどありません。
その結果、組織内ではヒエラルキーが強く働き、上層部に評価されることが優先されるようになります。この状態では、個人の意向や流行に流されやすく、長期的な目標を達成することが困難になります。また、下位の意見が反映されにくいため、変化への対応力も低く、結果として因習の固定化や不祥事の温床となり、信頼の低下と競技人口の減少を招きます。このような過程を経て消滅していった武道は決して少なくありません。
では、どのように改善すべきでしょうか。
いきなり多様性を全面的に認めて自己実現へと委ねるだけでは、組織としての方向性を見失う可能性があります。まず必要なのは、「実力を評価する」という基準を明確にすることです。
実力のある人間が組織運営に関与することが、健全化への第一歩となります。現状のように上層部の指名によって序列が固定されている限り、この構造から脱却することはできません。
和弓の実力とは

和弓はその名の通り弓です。弓を扱う以上、絶対に変わることのない用途として「標的物に矢を飛ばし、影響を与える」ということがあります。
弓の技能とは当然その力を持っていることになります。そして和弓は長弓で長くて重い矢を使うことに長けるよう、日本独自に進化してきました。
それが、和弓の目的「善く中て、強く貫き、精度を維持する事」(≒中貫久)であり、和弓の実力なのです。当然、精神力も中りに現れるため実力に含まれます。
また、和弓が競技となった原型とも言える堂前も同じ素養を求められるわけです。
そのあとになってから、精神修養的な部分がクローズアップされたことは知っておかなければなりません。
精神修養的な部分や作法というのも拡大解釈が重ねられた結果、非常に曖昧なもので、それは測定することができませんし、実力とは遠ざかっています。
さて一部の現代弓道のように精神性の一部や作法を中貫久よりも上位の目的に置いてしまうとどうなるでしょうか。
弓道は造形美(作法)を目指すべきか、機能美(実力)を目指すべきか
一つ例え話をしようと思います。
時計は様々なつくりで人を引き付けます。
これは時間を刻む実用性をもちながらも、インテリアであったり、アクセサリーの一部であったり、装飾も作り込みが素晴らしく魅力的だからです。
さて、この時計がいろいろと飾りがついているが毎日3時間狂ってしまう時計だったらどうでしょう。
時計として身に付けたり置いたりするとむしろ私たちにとっては有害です。
それは時計ではなく「時計の”ような”置物であったりブレスレット」になってしまいます。これは機能美よりも造形美や見た目を重要視してしまった結果です。
このような「玩物喪志の産物」にはだれも見向きはしないわけです。当然自分の大事な資産と時間をこれに支払おうなどとは思いません。
和弓において同様のことが起これば、さらに深刻です。作法や形式のみを重視する評価が広がれば、道具を作る職人もそれに合わせざるを得なくなります。その結果、射手だけでなく職人の技術も衰退し、文化そのものが失われていく可能性があります。

未来の和弓競技者の組織
持続のためには、「外部の支援に依存する」か、「自ら経済的な基盤を構築する」かのいずれかが必要になります。しかし前者に依存し続ける場合、支援が途絶えた時点で維持が困難になります。また、競争が生まれにくいため、停滞を招きやすくなります。そうすれば経済活動ができなくなり自らを保存できなくなって結局のところ消滅してしまうのです。
現在の弓道界は、学校教育や国体といった制度に支えられている側面が大きいのが実情です。しかし中貫久を第一義としない限り、競技力は徐々に低下していくでしょう。
中貫久を第一義としないうちはどんどんと競技力は低下していきます。
弓道関係者以外を引きつける競技力を育成しなければ未来の弓道は成り立ちません。
これからしなければならないことは、実力の正確な評価です。
技能としての和弓を評価することによって競技力は上昇し、流派として残された技術は活用され、魅力的な競技になるでしょう。
また、文化は道具と密接に結びついています。競技の質が向上すれば、それに応じて道具の質も向上します。結果として、日本の職人の技術も維持され、文化としての和弓が守られることになります。和弓としてあり続けるために、そして文化を失わないために実力を評価して好循環を生み出すべきです。
さいごに
この記事は組織としての在り方を論じています。
個人としての多様性は当然認めるべきで、造形美にこだわるのも史実研究をするのも勿論自由です。
和弓の存続を害さない範囲であれば和弓を使ってどんな自己実現をすることも構わないのです。
しかし、組織として実力以外のものを第一義とすることは危険なことなのです。
組織としては和弓でしかできないことをするべきだと言い換えてもいいかもしれません。
様式とか精神修養は舞踊や座禅のほうができます。
これでこの記事は終わりにします。たくさんのご意見お待ちしております。
また、他にも今日から使える有用情報がたくさんありますので是非見ていってください。
アフィリエイト等広告無し無料サイト「弓道大学」編集長
弓道の理解し辛い部分を原理原則から演繹し考察します。
全国規模大会で団体優勝の経験もさせてもらいました。
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