弓というものに携わる中で、どういうスタンスで関わっていけばいいのか。
それを考えるにあたって今回は新しい評価軸を提示きればと思っています。
弓への取り組み方は2つに分けられる
話を分かりやすくするために、2つの評価軸を提示したいと思います。
大乗、小乗は仏教用語から引用したものです。
日本の仏教、お寺は全て大乗由来と思って頂いて構いません。インドで生まれた仏教が中国の僧によって脚色され、日本に入ってきた物です。
はじめは貴族仏教でしたが、日本で独自の思想と混ざって発展し大衆化され、念仏を唱えさえすれば極楽浄土にいける、座禅をひたすら行えば悟りを得られる、など他力本願、大衆救済の要素を多く含んでいます。出家する僧はおらず、在家です。
対して小乗は日本には入ってきていません。
小乗は宗教的なものではなく哲学的修行を意味し信仰心は不要です。ブッダの教えを遵守しチベットやミャンマーの僧たちが現代でも悟りを求めて厳しい戒律を守り修行を積んでいます。在家という概念はありません。
ここでは大衆が救われることを目的とした形式や道徳を重視する考え方を大乗弓道とします。
それに対して個人による弓術、心術の極地に到達することを目的とする考え方を小乗弓道として考察していきます。
大乗弓道はどのようにして成ったか
大きく見て、大衆に向けた弓道はどのように発展してきたのでしょうか。
弓道は昭和後期から社会的な地位を獲得し、人口は爆発的に増加してきました。
これを語る際、阿波研造氏の存在を無視することは出来ません。
阿波研造氏は言わずと知れた大正から昭和初期にかけて活躍した宮城県の射士です。
大局的な見方からその業績について説明すると、
阿波研造氏は①恵まれた体躯 ②哲学的宗教的な教養 ③常人離れした速度での弓術の習得 によって圧倒的な的中力を若くして身につけますがそれ以上の成長に行き詰まってしまいます。
④当時の急速な近代化と戦争による混迷の時代に生きたため、⑤恩情に厚い性格から⑤教育と啓蒙によって日本人に大和魂を再建する使命感が強く、
⑥弓術を哲学的に解釈し精神修養や人格形成のための道具、「立禅」として昇化させていきます。
このように技術と心術に重きを置いてきた弓術に教育的、哲学的解釈を加え、日本固有のものとしての価値を生み出したことが現在の高い評価に繋がっています。
具体的な面では学生や教育者を中心に会をとにかく長く持つこと(苦行)や姿勢と呼吸法(禅)を教え、仏教的東洋哲学的な修行との共通点を用いています。
阿波研造氏の指導は苛烈を極め、非常に厳しいものでした。しかし彼の没後その厳しさは時代の潮流とともに失われ大衆化されていきます。
現在はさらに以前よりも和弓というものは人生の仕事とはならず、戦争も無く平和で有り、生きることに苦労する時代ではなくなってしまいました。
弓道は趣味や娯楽の一部となっているため以前のように厳しい指導は行われなくなります。
大衆向けの側面ばかりが取り沙汰され、人気競技とはなったものの、「一射絶命」「弓禅一如」「正射」などの言葉のみが一人歩きしてしまうようになり、それが大乗弓道の元となっています。
いまではもともとの阿波研造氏の指導からかけ離れてしまった苦し紛れの「会さえ持てば救われる」「正射を求め続ける姿勢だけで十分」「中らなくても立派ならいい」等に終始する指導も行われてしまう有様です。
大乗的な思想はどのような役割を持つか
大乗は宗教的で弓道の本質では無い。という批判も多く見られます。しかし組織を運営する以上道徳的規範は必要です。
大乗弓道の目的はある種、悟りを得ることでしょう。悟りを目指すのであれば道徳的、倫理性というのは重要なファクターとして組み込まれます。
ゲーテの言うように「宗教を追っ払えば、今度は不気味な迷信が裏口から忍び込んでくる」というように大乗、全体主義を除去してしまうと個の力が強くなり分断を生み、混乱を招くことになります。
全体性を獲得するための大乗弓道の価値があります。
もう一つ大乗は弓道の入り口として大きな役割を果たしています。礼儀、社会規範、精神性をもつ競技として評価が高いためです。
大乗を本願として弓に取り組むことはそれはそれで良いことだと思います。これはお坊さんが日々の行として弓を修めることとよく似ています。競技の側面は一切ありません。
しかし、大乗のみが弓の本質とするのは理解が浅いと言わざるを得ません。(別記事:実力以外を第一義とすると失敗してしまうのはなぜか)
弓は大乗のほうが重要であると語ることは避けなければなりません。指導者であれば尚更です。
日本の伝統文化を継承するにあたり、小乗的な取り組みが無ければ教える人が居なくなってしまいます。
大乗だけ教えていたのでは和弓の技術と特異性は滅んでしまいます。
技術の進歩も見込めず、道具の質もどんどん落ちていきます。
私のスタンス
私の取るスタンスとして目指すものは小乗にあるのは確かです。
しかし大乗弓道も間違いなく必要で有り、私もその恩恵を受けてきました。弓を始めるときは大乗から入ることが多く、弓を引く以上コミュニティは必要です。
また大乗的教えの中にも、元をたどって十分に背景を補足してやればればちゃんとした心術につながる部分も多く、よくよく調べると参考になります。
どちらも私の弓道観に影響を与えてきた重要な概念で間違い有りません。
これらを混同して考えず、優先順位をつけることが重要です。どちらかのみを本願として、他者に押しつけてはならないのです。
このサイトの敬虔な読者の皆さんも、最初こそ大乗であっても弓に長く関わっていく限りはやはり伝統文化の継承者として小乗を理解し、後進には選択する自由を与えて頂きたいと思います。
ということで今回はこれで終わりにします。
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また、他にも今日から使える有用情報がたくさんありますので是非見ていってください。
アフィリエイト等広告無し無料サイト「弓道大学」編集長
弓道の理解し辛い部分を原理原則から演繹し考察します。
全国規模大会で団体優勝の経験もさせてもらいました。
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