これはいったいどこから出てきた概念なのか、根拠は極めて曖昧である。
左右で持つ道具は異なり、肘の屈曲や回旋の様式も一致しない。さらに言えば、全身の筋活動から骨の位置関係に至るまで、左右は機能的に大きく異なっている。
その前提を無視したまま、「左右対称」という言葉を感覚的に用いることには問題がある。
射形において左右対称が良い、美しいといった評価は、本質的には成立しない。
もし左右方向の張力を問題にするのであれば「矢をどう引くか」と具体的に表現すべきであり、上腕骨頭の位置関係を論じるのであれば、そのまま骨格の話として扱えばよい。
「対称」という曖昧で耳触りのよい言葉に置き換えることで、かえって誤解を生むことになる。
そもそも、左右対称であること自体に美的価値があるわけではない。仮にあらゆる絵画や写真を機械的に左右対称にしたとして、それが美しいとは限らないことは明らかである。
人体を単純な幾何学として扱うような発想では、実際の運動や機能は捉えきれない。
また、しばしば引き合いに出される「黄金比」についても、その普遍的な美の根拠には疑問が呈されている。
美とは本来きわめて主観的なものであり、それを絶対的な基準として他者に適用しようとする態度には慎重であるべきだろう。