離れの大きさ(残心における馬手の位置)は、古来より道具の選択、標的までの距離、さらには習熟度といった条件に応じて使い分けられてきたものである。
したがって、そこに単純な「正しい/正しくない」という二分的な判断が入り込む余地は本来ない。
にもかかわらず、大離れのみを絶対的に美しく、かつ正しいものとみなすのであれば、それは弓の習熟とは別の価値基準に立っていると言わざるを得ない。
形のみを追い求める稽古は、すでに弓術そのものから離れつつある。
弓の機能や的中を二の次とし、あらかじめ定められた形式をなぞることだけを目的とするのであれば、それはもはや技術の研鑽ではなく、形式の再現に重きを置いた営みである。
弓の機能は二の次で的中しなくても良く、身内で定めた形式的な舞を舞えるかどうかを判断するだけであればそれは弓ではなく舞踊であり曲芸団体であるといえよう。