弦音に対する理解不足、そして技術の上達に対する認識の浅さから生じている誤解が見受けられる。
従来、弦音は多くの流派において、技術の成熟度や身体と道具の適合を示す一つの指標として扱われてきた。
特に日置流印西派においては、弦拍子を最上とし、そこに至る過程として「弦子、弦音、弦拍子」という段階的な整理がなされている。
つまり弦音とは単なる音の大小や高さではなく、技術の積み重ねの中で現れる結果として位置づけられていたものである。
しかし現在では、ザイロン弦のような高剛性の素材や、大きな関板の普及によって、技術的な裏付けが十分でなくとも、比較的容易に高い音を出すことが可能になっている。
ここで言う「高い音」とは、あくまで音の高さや鋭さを指すものであり、本来の意味での弦拍子とは必ずしも一致しない。
もちろん、音を出すこと自体を楽しむことや、その結果に満足することを否定するものではない。
ただし、音の高さのみをもって技術的な完成度の指標と見なしてしまうのであれば、それは本来の評価軸からは外れてしまう。
極端に言えば、測定範囲の限られた体温計で体調のすべてを判断しようとするようなものである